Santa Cruz Church

โบสถ์ซางตาครู้ส

Bangkok, Thailand バンコク、タイ

”ポルトガルの足跡が残る集落にて”

アユタヤに定住していたカトリックのポルトガル人達は、1767年になってビルマとの戦争に敗れた後に中国系やムスリムグループと共にバンコクに逃れてきた。1769年になりトンブリー王朝を開いたタークシン王によって現在のKudi Chin地区に土地を与えられたポルトガル人コミュニティは、翌年に最初の木造の教会を開くことになる。神父はยาโกเบ กอรร์(ヤコブ・ゴアと読めるが原語は不明)という戦乱時にアユタヤからカンボジアへ避難したのちに、タイへ戻ってきたフランス人であった。そのため確執のあったポルトガル人の間では受け入れることができない人々もいたため、コミュニティは分断し他方は対岸のTalat Noi地区へ行くことになった。始めの頃はカトリック教徒を好意的に受け入れていた王であったが、その後1774年頃からキリスト教徒への弾圧が徐々に始まる。不遇の時期を過ごすことになるのだが、トンブリー王朝からチャクリー王朝へと変わり迫害は終止符を打つ。時が過ぎ、長年に渡り荒廃してしまった古い教会に変わり1836年には2番目となる中国風のデザインの教会が建造された。そして1916年になり、3番目のルネッサンス・リヴァイヴァルの建築様式で新しく建造された現在の教会が完成した。どことなくイタリア風に思えるのは、2人のタイのお雇いイタリア人建築家のMario TamagnoとAnnibale Rigottiの設計であるからだろうか。バジリカ教会建築の基本と違ってファサードは逆の東側の川を向き、正面3個と側面の半円アーチで造られたポーチがある。天井は9個に分割された青地に金色の花のモチーフで美しい。塔にはバラ窓があり、8角形の尖塔上部のドームはイタリア・フィレンツェを代表するSanta Maria del Fiore大聖堂のドームを模倣している。側壁は半円アーチと丸のステンドグラスにルネッサンス建築の特徴である水平線の強調があり、直線的なコーニスとスタッコで造られた花や植物を編んだ長い綱飾りが続く。内部の天井は筒型ヴォールトで、ポーチと同じように分割された青地だがこちらは金の星文様だ。側面は半円アーチが7個続き、柱頭はコリント式の金の装飾がつく。大きな十字架のある祭壇の上にもアーチがあり、3角形のペディメントは金の植物文様で飾られている。ポルトガル植民地建築は独特のバロック様式を用いたデザインであったことが多いが、この教会自体には、植民地ではなかったタイとの違いも時代の違いもありポルトガルの匂いは正直全く感じられない。前述の通りポルトガル人コミュニティはこのKudi Chin地区と、現在のTalat Noi地区と川を挟んで分かれたが、向こうにはもうポルトガル人入植者の痕跡はほとんど残っていない。それに比べるとこのKudi Chin地区は教会はイタリア風ではあるが、小さな集落の路地裏に今でもお菓子や食堂の料理、玄関の飾りつけやタイル、国鳥の雄鶏(ガロ)のモチーフなどポルトガルのアイデンティティを残しているのがわかる。

川のある東にエントランス、西に祭壇をもつ。

優雅なデザイン。






軒下の装飾を見る。


玄関ポーチ。
エントランスは閉まっている。内部は別の日に入る。



美しい天井と祭壇にアーチが架かる。

半円アーチとステンドグラス。
螺旋階段とバルコニー。