บ้านอาจารย์ฝรั่ง ศิลป์ พีระศรี
Bangkok, Thailand バンコク、タイ
”敬愛を集めたイタリア人芸術家の住まい”
Krung Thon Bridgeのバンコク市内側手前にある、Army Internal Audit Office(陸軍内部監査事務所)の敷地内に4棟の歴史建築が並んでいる。通りから見ると敷地の奥に1棟が見え、通り沿いに3棟が並び、うちこの右端の1棟の住居はタイ近代美術の父と呼ばれたイタリア人であるタイ名Silpa Bhirasriが住んでいた住居である。当時のタイは建築や芸術についてイタリアの文化を取り入れる政策を取っており、彼もフィレンツェからタイの芸術局へ彫刻家として招かれた。美術学校を開校し講師となり、その後は芸術大学としてはタイ最高の位置にあるシラパコーン大学の創立に、また教授となりタイ美術の発展に尽力をつくした。タイの仏教美術にも造詣が深く、彼ほどタイ人から敬愛を集めた外国人はいないのではないだろうか。戦時中の事情でタイ国籍とタイ名を持つが、住まいは本名から「Corrado Ferociの家」とも呼ばれ、また1階にあったカフェは「Baan Ajarn Farang=西洋人教授の家」と名乗っていた。過去にはここだけに限らず敷地内の全棟が白く塗られていたが、現在は全て赤い屋根、マスタードのような黄色い壁と白をアクセントにした統一された外観に変わっている。タイの西洋建築は比較的、ルネサンスやロマネスク、パッラーディオなどの対称性のある建築様式に影響を受けていることが多い。しかし、この敷地内のこのSilpa Bhirasri's House、核になるHouse of Phraya Burut Rattana Ratchapanlopもであるが、非対称で塔がついたような特徴のある形態をしている。また、張り出したバルコニーが南西側2面の玄関ポーチをぐるりと覆っていて、塔と共にヴィクトリアン様式の中の特にクイーンアンと呼ばれる様式に影響を受けたのではないかと思う。塔状の部分の窓は、Traceryという四つ葉の幾何学模様がついた尖頭アーチで教会風になっており、これはゴシック・リヴァイヴァルの影響か。Silpa Bhirasriは来タイの後、数年を経てから家族でこの住居に8年ほど暮らしていたという。軍事施設内にある建物で、2017年頃と最近になって教授の家と知られるようになって資料館として部分的に開放を始めた。一時は前述のカフェ、Craftsmanが1階に一時的に入居し2階をギャラリーとして運営していたが、既にカフェは退去済である。
玄関扉は一番左手にある。 |
ゴシック教会風のアーチ窓と装飾。 |
とんがり屋根がヴィクトリア風。 |
1階ポーチの延長した先。 テラスのようになっていて外に椅子が出ている。 |
よい感じの壁。 |
1階に2部屋があり、こちらはカフェになっていたが退去済。 |
奥は厨房とソファ。キッチンのユニットは丸ごと Bumrung Nukulkij Printing Houseへ移動した。 |
Silpa Bhirasriと家族の写真。 欄干から、この家の前で撮られたと思われる。 |
2階のギャラリー。塔状の部分。 |